1. 5.6(sat) 10:28:47

比呂には父親が四人いた。
彼の母親が同時期に関係を持った男が四人いたという事で
比呂を身ごもり、産む産まないで話し合ったとき音羽は19歳だった。

音羽は四人の父親の中で一番若い父親だった。比呂の母とは遠い親戚だったらしい。

大好きな恋人と引き裂かれ、自暴自棄になっている時に
比呂の母親に誘われて一度だけ関係をもってしまったそうだ。

比呂が生まれるまで何度も四人で話し合いをしたが、音羽は子供や結婚に興味がなく
年長者三人に任せるという形で、なにもかもに消極的だった。

しかし・・比呂が生まれた日。比呂の小さな手を握ると、彼の態度は一変した。
一瞬で父親の顔になったのだ。

それから私達は、比呂と母親と四人の父親で同居生活を始める。
音羽は一番若いので、何かと面倒ごとを押し付けられていた。
私は当時フリーカメラマンで家をあけることが多く、他の2人は母親に夢中で
比呂の世話などはろくにしなかった。

母親はというと、皆にちやほやされる状況に溺れ、比呂を産んですぐに母乳も与えなくなり
半年後には食事もろくに与えないような育児放棄状態になってしまった。

すると音羽は、託児所に比呂を預けることにし、仕事が終わると比呂を連れ、家に帰る生活を始めた。
私がいるときは私が比呂を迎えにいって一緒に帰った。託児所の代金は、私と音羽で折半にした。
そうして何とか比呂は幼稚園に入園する年齢まで成長をした。

比呂はすくすくと育ち、運動神経もよく、聞き分けもいいので、他の父親達も彼に興味を示すようになった。
外でキャッチボールをしたりし始めて、何もかもが好転したかのように見えた。

でも、大人たちはキャッチボールにすぐ飽きた。

母親は依然、家庭内で比呂を無視し、関わろうとすれば否定し続けた。
その頃音羽は仕事が忙しくなり始め、なかなか家に帰れない日々が続いていた。
私はできるだけ近場で短期間の撮影をメインに仕事を入れていたが
昔世話になった人からの大きな仕事を断ることが出来ず、二週間ほど家を留守にすることになってしまった。

すると比呂が家出をした。
行き先は近所の公園だったらしい。その日、たまたま仕事が半日になった音羽が家に帰ってきて
比呂の不在に気がつく。家にいた大人は誰も状況を知らない。
帰路を急いでいた私にも、音羽から電話が入った。
『・・こんのさん・・・』
『・・・音羽?どうした?』
『比呂がいないっ・・ちょっと探してきます。』

その電話から5分ほどして、音羽からまた電話が入った。
電話の向こうで子供が泣いている。比呂だ。私は思わず腰が抜けるような感覚をおぼえる。

『こんのさん・・・いた・・公園の・・土管の中に・・。』
『・・・無事なの?比呂は・・・ケガとかは・・』
『・・ないです・・・でも・・腹へってたみたいで・・どんぐり拾って食おうとしてた・・。』
『・・・・・』
『俺・・・もう・・・あいつらぶっ殺したい・・。』
泣く音羽。私も携帯電話を持つ手が震えた。音羽をなんとかなだめて私も家に急いだ。

そして夜。比呂が寝てから大人だけで話をする。
『・・あの子がなんで一人で公園なんかに行ってたのか教えてください。』
音羽の言葉で話し合いが始まった。他の父親は黙り込んでいて、母親が悪びれずにいった。
『遊びたかったんじゃないのー?子供だし。』
すると音羽が静かに言い返す。
『5歳の子供を一人で行かせるような距離にある公園じゃないだろ。』
母親は、そこで黙った。

すると今度は一人の父親が『何もいわずに勝手にでて行っちゃったんだもんな〜。』といい
もう一人の父親が『そうだね。比呂は何もいわないから。』という。
『それにもう5歳だし、あまり甘やかしてもね。』『放任主義ぐらいでちょうどいいよ。男の子だしね。』
そのやり取りを黙って聞いていた音羽がそこで口を挟んだ。
『いや・・それ・・違うんじゃないですか?』
大人たちは黙る。泣き疲れた比呂は自分の部屋でぐっすり眠っている。

『比呂が何も言わずに出て行ったのは・・大人が普段・・あの子の話をちゃんと
聞いてあげなかったからなんじゃないですか。5歳の子供をそこまで追い詰めて、あんたら恥ずかしくないのか。
もう5歳?まだ5歳だろ。まだあいつはたった5歳なんだよ。あいつは小さな大人じゃない。
子供なんだよ。なんでわかってやれねえの?』

音羽は静かに続ける。

『あんまり甘やかしても・・って何ですか。今まであんた達があの子を甘やかしてやった事があったんですか。
休みの日に、どこにもつれてってやらない、誕生日にご馳走もない、プレゼントもない。
買い与えられる金もヒマもいくらでもあるのに、大の大人がこれだけいて、なんでそれができないんだよ。』

静まる室内に時計の針の音だけが響く。

『甘やかさないなんて立派ぶった言葉で自分の落ち度を正当化しないでください。
比呂が上手に喋れないのは、俺たちのせいだっていわれたじゃないですか。
精神的なストレスが原因だって・・ちゃんと話しかけないと駄目だって・・
このまま病気が進んだら・・あの子は何も話さなくなるかもしれないって・・

あんときもアレだけ話し合ったじゃん。なのに、なんでこんなことまたモメるんだよ。
それに・・なんで俺が先週買った比呂用のぱんが、まだあんの?
カビてるじゃん。捨てろよ。
幼稚園の出席ノート・・今週全然シール貼ってねえじゃん・・
幼稚園に電話して聞いたら、比呂、風邪で休みってことになってるけど
どーいう事だよ・・・送り迎え面倒で休ませたのかよ・・・ねえっ・・。』

すると俺と音羽以外の父親の一人が驚いた顔をする。
『俺は今週は今日まで朝勤だったから・・比呂が幼稚園いってないの知らなかった・・。』
母親ともう一人の父親は、だまってそっぽを向いている。音羽は続ける。
『・・比呂・・公園で・・どんぐり食おうとしてたんだけど・・・飯どうしてたの・・。』

『だって・・ぱんもあるし・・アイスもあるし・・・冷蔵庫開ければ・・』という母親を言葉をきいて
『そうだよ。比呂は一人でいることが多いんだから、勉強だよ。一人の勉強。』と、そっぽ向いてた父親がいった。
その言葉に音羽がついにキれた。目の前のテーブルを蹴飛ばし彼のことを睨む。目には涙がたまっていた。

『比呂が一人のときが多いのはっ・・・俺らが自分のペースをあいつに合わせてやんないからそうなるんだろっ。
みんなで少しずつ融通利かせたら、あいつが一人になることなんかないんだっ。
ぱんもあるって・・あのカビぱんかよっ・・冷蔵庫あければって・・寝ぼけたこというなっ。
酒とあんたらのつまみしか入ってねえじゃねえかよっ・・考えりゃわかるだろっ。

・・・冷凍庫の中にアイスなんかなかったよ・・冷凍ピザだのそんなのしかねえじゃん。
レンジつかえない比呂がそれをどうやって食うんだよ。袋の開け方もわかんない比呂が
一人でどうやってそれをくうんだよっ・・・。食わなきゃ死ぬんだよっ・・わかんないの?ねえ。
比呂は子供なんだよっ・・・ねえっ・・・・わかんねえのっ?ねえっ!!』

痛む胸。・・おなかをすかせた比呂の顔が浮かぶ。自分のふがいなさに涙が出た。
音羽は泣いている。仕事と家の板ばさみで磨り減った彼の疲労感も、きっととっくに限界を超えている。

音羽が床にへたりこんで、半分放心状態のようになっている。
そして、少したったとき・・つぶやくようにいった。
『・・そんなに比呂に・・興味ないなら・・比呂を連れて俺はこの家を出て行く。』

結局。
その言葉を聞いた母親が半狂乱になって音羽を止め、音羽は家をでていかなかった。
でもそれは比呂に対する態度を反省したからではない。音羽を失いたくなかったからだ。
何も解決しない。きっと。でも・・それでも私達は今回のことで何かを感じた。
翌日、比呂が幼稚園にいってなかったのをしらなかったといった父親が
会社を休んで幼稚園の送り迎えをし、夕方から映画につれていってくれた。

だから私は音羽を誘い仕事帰りに飲むことにした。
音羽は私によく懐いてくれて、家で2人で飲んだりしたことがあるのだが
この夜の音羽の飲みかたと悔し涙は見ていてとても痛々しかった。

『こんのさーん・・・。』
『・・どうした?』
『俺・・昨日あんなに言っちゃってさ・・・比呂がいじめられたらどーしよ・・。』
『・・大丈夫だよ。ああ見えてみんな比呂のことが好きなんだ。』
『・・・・そっかなー・・・。』
『そうだよ。だってかわいいだろ?比呂。』
俺の横で、ウィスキーストレートですっかり酔った音羽は、へへっとかわいい顔で笑う。
『うん。かわいい。比呂は世界一かわいい男の子。』
かわいいな〜・・ひろは〜・・と、いいながら音羽がクスンと涙を流す。

『俺・・早く一人前になってー・・比呂を引き取りたいんです・・。紺野さんには悪いけど・・
でも俺ほんっとにほんっとに・・・絶対多分、比呂は俺の子だとおもうんだけど・・・。』
『ふふっ』
『・・でも・・仕事で頑張れば頑張るほど・・家に帰るのが遅くなったり・・出張とか研修も増えるし・・
比呂は、今が一番大事な時期なのに・・結局俺・・なにもできないし・・・。』
『・・・お前はよくがんばってるよ。』
『ぜんぜん・・・全然だよ・・俺なんか・・。なんだかんだいってー・・結局俺もあの人らと同じで・・
あんなえらそうなこといえる立場じゃなかったっつー・・悲しい現実・・・っていう・・。』
『・・・・。』

あたまをぽんっと叩いてやると、音羽はぼんやり俺をみて『あ。』という。
『なに?』ときくと、音羽が自分の仕事カバンから手帳とペンを取り出した。

『遺言状かこーっと。』
『・・・おまえ・・まさか・・』
『や、死なない。死なないけどね・・でも・・なんかの時のためにさ・・』
そんなことをいいながら一生懸命手帳に何かを書き込んでる音羽。そして、書き終えたのか
そのページをぺりっと破り私に差し出す。
『・・何かあったら比呂に。』そういうと『ちょっと眠い。』といってテーブルに突っ伏し寝てしまった。
その背中にジャケットをかけ、私は遺言状に目を通す。びっしりと書かれた文字列には遺産などのことは一切かかれず
文字を追うごとに涙が出て来て、私はそれを大事に財布にしまった。

あれから10年程が過ぎ・・音羽はもういない。
私は音羽から託されたその遺言状を、いまだに比呂に渡せずにいる。
毎日それを考えて、渡そうと思うのだが勇気が出ない。
これを渡したら比呂が音羽のところにいってしまいそうで怖いのだ・
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