2007/1/29 (Mon.) 23:36:22

ずっと不妊治療をしてきた妻が妊娠をした。

病院に付き添っていくと、妊娠二ヶ月という診断。
私は当然喜んだのだが、妻はどこか不安げな顔をしている。
診察が終わり、会計待ちのとき、彼女が心境を打ち明けてきた。

『・・比呂は・・妊娠を喜んでくれるかな・・・。』
血の繋がらない大きな息子の存在を彼女は気遣っていたようだ。

私は比呂が赤ん坊のときから、一緒に暮らしてきたのだが、
彼女は2年ほど前に、ここに越してきてから、比呂との同居生活を始めたわけで。
実の両親を両方失い、孤独な彼を引き取った私達に子供が出来たということは、
彼にとってどういう意味をもってしまうのだろうか。

不妊治療をしていることは、比呂にも話したことがあり、薬の副作用で彼女が寝込んでいると、
比呂が買い物をしてきてくれた。優しい子だ。だからきっと喜んでくれる。
ただその心の中で彼が、どう思うかまではわからないのだが。

今日はタイミングよく、比呂がバイト休みで家にいた。
夕飯を一緒に食べた後、彼女が食器を片付けている間に、私は比呂に話すことにする。
夕食中に、つい最近痛めた腰をさすっていると、比呂が心配そうな顔で、『押そうか?』といってくれて、
食器を全部台所に運んだあと、私は横になり比呂にマッサージをしてもらった。

『陸上部でならったの?』
『え?』
『マッサージ。』
『ああ・・うん。そう。』
『上手だね。』
『・・・そんなでもないけど。』

私は目を閉じ、覚悟を決める。

『比呂。』
『・・・なに?』
『おばちゃんが妊娠した。』

腰をおしてくれていた比呂の手が一瞬、びくりと震える。

『うそ・・・・。』
『本当。』
『いつ?』
『今日わかった。』
『え・・いつ生まれるの?』
『予定日は・・10月5日くらいかな。』
『え・・・うそ。』
『うそじゃないよ。』
『・・・・。』
『比呂おにいちゃん。』

私は比呂の顔を見ることができなかった。反応はやはり怖い。
比呂の手は震えていたし、声も震えて泣いているような感じだった。

でも比呂は、そのあとに、こんな言葉を続けてくれたのだ。

『よかったじゃん・・うそみたい・・・・すげえうれしい・・。おめでとう・・おじちゃん。』
私は顔を上げ比呂を見た。比呂は泣いてはいなかった。しかし体が震えている。

うれしいはずがない。この子にとって、私達に本当の子供が生まれるということは、
不安材料にしかならないはずなのだ。
比呂の震える手を見た瞬間、私は打ち明けたことを後悔した。
子供を授かったことすら後悔しかかった。でもその時、比呂が立ち上がり台所に続くドアを開け、
そして私の妻のほうに歩いていき『おめでとう。』と、声をかけたのだ。

妻はその時、もう泣いていた。比呂は振り返った妻に、一言だけ言う。
『・・おなか・・さわってもいい?』
妻が無言で頷くと、比呂が恐る恐るまだ何も膨らんでいない妻の腹部を静かに指先でさすったのだ。

私は立ち上がり、比呂を抱きしめた。
妻も比呂を抱きしめて、私と妻の間で比呂が、静かに静かに話をする。

『不妊治療って・・すげえ大変だったんでしょ・・。よかったね・・ほんと・・赤ちゃんできて・・。』

小さな小さなかすれ声で、比呂が私達に話す。
そして、妻のおなかを見ながら、大粒の涙を流して言ったのだ。
『俺・・・生まれて初めて兄弟ができる。』


ああ・・。
この子は・・・
こんなに優しい子に育った。

あんな環境の中でもなお、優しい男の子に育ってくれた。

この言葉を言うのに、どれだけの勇気をつかったんだろう。

妻はひたすら涙を流して『ありがとう。』と比呂に言う。
私に髪をくしゃくしゃに撫でられながら、比呂が照れくさそうに、かわいらしく笑った。
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