今日も那央は急に残業になったみたいで、帰ってきたのは23時ちょい過ぎだった。

俺は今日は22時までで、那央より早く帰れたから、家のことをして風呂に入って
(明日は朝4時出発だから)めんどくさいけど髪乾かして・・
なんてやってるうちに那央が帰ってきた。

車が駐車場に入ってくる音がして、あー帰ってきたなって思ったんだけど、
そのあと誰かが走る足音がしたから何事かと思って玄関に行ったら那央がいた。
走る足音は那央だったようで、誰かに追いかけられたわけじゃないって。

俺の顔を見て涙をぽろぽろ流すから『どうした?』って聞いて背中をさすった。

しなくちゃいけない仕事があるのに、休み時間は全部用事で潰れちゃうし
放課後も保護者対応や生活指導とかで忙しくて、精神的にも限界になっちゃったみたい。
那央がこんなことを言うのは珍しいから、相当大変だったんだと思う。
俺も仕事で毎晩帰りが遅いけど、俺と那央とじゃ仕事の内容がまるで違う。
同じ『忙しい』でも全然違うし、背負ってるものの大きさも違う。

華奢な体を震わせて泣いてる那央。
こういう時は、勝手かもしれないけど『仕事辞めてくれ』って思ってしまう。

『仕事、あと何があるの?』
『うん・・・。家でやれるのは学級だより・・・。絵を描かないと・・』
『絵?なんで?』
『文字だけだと冷たく見えるって保護者から苦情が入って・・』
『は?』

・・・そんなの無視すりゃいいじゃんって、思うんだけど、それは言えない。
言ってしまったら那央は俺からも責められることになっちゃうから。

今年の4月にクラス担任になって、それから毎月嬉しそうに学級だよりを作ってる那央を
俺は見てきた。小さいイラストも自分で描いてて、那央が忙しい時には俺が描いた。

『じゃあ絵は俺が描く。那央、風呂入って。夕飯買ってきたから食べよう』
そう言ったら、那央が座り込んで泣き出したから、立たせて負ぶって風呂連れてって
『風呂で泣けー』って言っておいてきた。

・・・・何も持たないで玄関にいたから、荷物は全部車の中だろうし
風呂場に着替え持っていってやらないと、那央は素っ裸で出てきちゃうから
優先順でとりあえず風呂に着替えを一式持って行って、声かけて生存確認して、
そのあと那央の車を見にいったら、荷物がぐちゃぐちゃに置いてあった。

あんなに綺麗好きな那央なのに。
荷物かき集めて持ってくるだけで精一杯だったんだろうね。


先生って、人間なんだよ。神様なんかじゃないんだよ。
24時間使えるフリー素材でもないし、那央は俺の大切な人なんだよ。
なにが『文字だけだと冷たく見える』だよ。中身を読めよ。書いてあることを。
那央がそのプリント一枚作るのに、どれだけ時間と神経使ってるのか
わかってんのかよ。生徒の数だけ感じ方があって、その後ろには親がいて、
そういうことにまで配慮しながら、一生懸命作ってる学級だよりだよ。

・・・・悔しくて俺まで泣きそうだけど、今はとにかく那央だ。

荷物持って家に入って、夕飯あっためようと思ったら那央が風呂から出てきた。
黙って俺の背中に抱き着いて、離れようとしないから俺は今日一日の話をした。
そして夕飯食いながら学級だよりの絵を描いた。前回好評だった猫の絵にした。

好評だったっていうのは、生徒や一部の保護者の人らの評判で、そういうのを聞く限り
保護者の中には、そんな感想を伝えてくれるくらい協力的な人もちゃんといる。
俺もそれはわかってるつもり。つもりなんだけど俺はやっぱさあ
泣きながら苦しんでる那央をみてるから、仕事辞めてって言いたくなっちゃうんだよ。
好きな子が泣くっていうのは、それくらい辛くて苦しいものだから・・。


絵を描き終えるのを待ってたみたいで、『描けた!』って俺が言った途端に
俺の膝の上に座る那央。ぎゅってしようと思ったんだけど、なんかこいつまだ
飯食ってるから、通勤途中にほぼ毎日通行妨害してくる鳩の話をした。
那央はもぐもぐ食べながら、泣いて腫れた目で俺を見る。
眠そうな顔がすごくかわいい。今日は食べるの遅いね。いつもは秒なのに。

ほんとに余裕のない一日だったんだろうな。
とにかく、無事に帰ってきてくれて本当によかったー

・・・って、少しだけまったりしていたら那央が
『ねえ・・・この猫しっぽが2本も生えてるよ』
とか言って笑うじゃん。

那央の笑顔は世界一かわいい。
とりあえず俺は粛々と猫の絵を描きなおそうと思う。