怪我をした比呂に、『もう喧嘩をしないって約束して。』って言ったら、
『約束なんかしない』と言われた。まるで俺を突き放すような言い方で。
たかだか口約束だけど、その約束は俺はとても大切なことだったし、
比呂を思ってのことなのに、ぶっきらぼうにあんなふうに言われて
本気で悔しくて正直むかついた。
比呂は何もわかってないんだ。人の心の深さとか。
お前が傷ついたら俺が、どんだけ苦しむかまるでわかってないんだ。
それを小沢に相談したら、小沢は軽く咳払いをして
はあってため息をついて、俺を見てこういったんだ。
『わかってないのは、あんたのほう。』
俺が黙ると小沢も黙ったが、沈黙が続くと小沢はゆっくり話し始めた。
『ユッキーの気持ちはわかるよ。比呂は喧嘩するたびに大怪我するし、
俺でさえ心配になるもん。あいつを好きなお前の気持ちはわかる。』
小沢はゆっくり俺に話をする。俺は黙って小沢の話を聞く。
『だけどさ、もしさ、比呂がお前の約束を承諾したとしてさ、
そのあと誰かに喧嘩ふっかけられたら、どうすんの?』
・・・それは・・。
『その約束のせいで、比呂は手を出せなくて、ぼこぼこにやられて、結局お前を泣かすよ?』
小沢が俺の頭を撫でる。俺はどうやら泣いてるようだった。
『約束持ちかけるならさ、相手をまずちゃんと見てからにしなよ。
比呂の性格や環境を考えてから、約束しなよ。』
オレはギュっと目を閉じる。
『比呂が喧嘩する時はさ、およそ相手からつっかかってくるんじゃん。
しかも仲間かばってとか、そういうんじゃん。
そういう時に、お前がいつも、そばにいてあいつを守ってやれるの?』
『・・・・。』
『・・できねえじゃん。そんなのは。絶対ムリじゃん。お前はおまえ自身で比呂じゃないし。
なのにお前との口約束がある以上、比呂は自分の身すら自分で守れないよ。』
『・・・・』
『そういうのを、わかってるからさ、比呂は約束なんかしなかったんだよ。きっと。』
・・・・ぐさっときた。自己嫌悪の渦に落ちる。俺・・指先ほどもそんなこと、思いつかなかった。
俺はただ、・・ただ・・・比呂のことを思って・・。いやちがう。
比呂のことを思っているふりして、実は自分の心配事を減らしたいだけだったんだ・・・・。
『俺・・なんもわかってなかったよ・・・。』
そういって俺がうなだれると、小沢が俺の肩を叩いて
『しょうがないよ。俺は、客観的に話きいてるから、わかるってだけのことだし。』
『でも・・。』
『はいはい。やめやめ。ほら、比呂がくるよ。』
その声に俺は振り返る。
すると廊下の向こうから、比呂が口笛吹きながら歩いてきたんだ。
廊下の隅で話をしていた俺らを、怪訝な目でじっと見ると比呂は
視線を教室に移動させて、『海老サンドイッチ〜』と、かったるそうにつぶやいたのだった。
俺の好きな海老。小沢の好きなサンドウィッチ。
思いつきで口走ったんだろう。しかもなにあの、どーでもよさげな言い方。
比呂は、いつも、あんな感じだから、そんなに色々と深く物事を考えてるように見えなくて
・・・人の心の深さを知らなかったのは、きっと俺のほうだったんだな。
休み時間が明けて、授業になって、俺は比呂に手紙を回した。
ノートのきれっぱしに『えびさんどういっち、プリーズ』とかいたら
『おまえ、ほんとにエビすきなのなー。』という手紙が、かえってきてすげえうれしかった。
俺は比呂の背中にけしごむちぎったやつをぶつける。
そのたびに比呂が口の動きだけで『やめなさい』といってきた。
それが嬉しくて、何度も繰り返すと、そのたびに俺になんか言ってくるんだ。
口だけの動きで。ほんとくだらないようなことをいう比呂。
声もないのに俺に届く言葉。
約束なんかなくてもじゅうぶんだ。
