2006/08/17 (Thu) 10:31
送り火の日の朝。
比呂が二階から降りてきて、仏壇にできたてのプラモデルをそなえて、手を合わせると私に言う。
『じいちゃんちに行きたい。』じいちゃんというのは、比呂の父方の祖父のことだ。
朝食を食べていた私は、比呂に『何か用でもあるのか?』ときいた。
すると比呂が言うのだった。『音羽くんの位牌を返す。』
『お盆の間に位牌を動かすのはよくないんじゃないのか?』と比呂にいう。
そんなことは本当はどうでもいいことだった。
あれだけ大事にしていた位牌を、何故返すなんていいだしたのか。
それが何を意味するのか。位牌を返したら比呂がどうにかなるんじゃないか・・
何か嫌な覚悟をしているんじゃないのか・・私の心は動揺する。
でも比呂は、そんな私に言った。『音羽君を、おじいちゃんのとこにつれていく。』と。
『俺のせいで、じいちゃんのとこにおっくんが帰っていけない。』と。
妻を見ると、彼女は泣いていて『本当にいいの?』と比呂に問いかける。
比呂は、こくりと頷いた。目から沢山の涙がこぼれた。
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久しぶりの椿平。電話を入れておいたからか、門の前でおじいさんは待っていた。
比呂が車を降りると、にこりと笑った。私が頭を下げると、おじいさんは頷いた。
玄関のわきに朝顔が大輪の花を咲かせていた。比呂が小学校一年生の時、音羽とここに来て植えた朝顔だ。
もう10年もたっているのに、今年も花をさかせたのか。毎年毎年、大事に種を取り、季節を見ながら植えてくれるんだろう。
その花はまるで、おじいさんの、息子や孫への愛情の象徴のようにきれいに咲いていた。
部屋に上がらせてもらうと、線香のにおいが家中に漂っていた。
おばあさんが、ばたばたとでてきて、比呂を抱きしめて泣いてしまった。
去年比呂が自殺未遂をおこしたときに、ショックで倒れてしまったおばあさん。
一人息子の忘れ形見である比呂を誰よりも大事にしてくれていた。
『比呂ちゃん、きてごらんなさい。音羽の浴衣がでてきたのよ。』
そういうと、泣いている比呂を連れて、奥の部屋に入っていった。
私と妻は、おじいさんに促されて、縁側で冷たい麦茶を頂いた。
『比呂は・・その後、どうですか。』おじいさんが、遠くの入道雲を見ながら私に聞く。
『先月、・・薬を飲みすぎて入院しまして・・でも自殺ではなかったようです。』
正直に私は答えた。
『そうですか・・・。』そういって、おじいさんは手に持ったうちわを扇ぐ。
『あなた方には迷惑ばかりかけてしまってすみません。』とあやまられた。
妻が首を横に振る。
『私も主人も、比呂のことが大好きなんです。私達が家族になることを認めて下さって、本当にありがとうございます。』
そういうと、妻は深々と頭を下げた。
私達が比呂を引き取るなんて言わなければ、比呂はこの家に引き取られ、転校も引越しもせずにすんだんだろう。
幼馴染や友人も多い。大人のエゴを押し付けて、あの子にはかわいそうな思いをさせた。
奥の部屋から声が聞こえる。『おじいさん、やっぱり比呂ちゃんにぴったりですよ。』
おばあさんにつれられて比呂が出てきた。音羽の浴衣を着せられた比呂は、まるで音羽そのものだった。
『おお。よく似合うぞ。比呂も、すくすくとよく育って。』
おじいさんの言葉に、比呂は無言でこくんとうなずく。そして一旦車に戻り、位牌を持って、家に上がってきた。
『じいちゃん。これ、返します。』
おじいさんとおばあさんが、お互いに顔を見合わせる。
『比呂、これはお前にあずけたものだ。かえさなくてもいいんだよ?』
『そうよ。比呂ちゃん。音羽はあなたのそばにいるのが一番幸せなの。だからね、ずっとあなたがもっていていいのよ。
そんなに気を使わないでちょうだいね。』
比呂は、首を横に振ると、ふうっ吐息を吐き、そして下唇をかみ締めた。
そして、何かを決心したかのような顔で2人にこう言った。
『気持ちの整理を・・つけてきたから。』
おばあさんが口を押さえて、嗚咽をあげて泣きはじめた。
妻も私も涙がこぼれる。おじいさんは目をつぶってだまっていた。
『俺のそばにいたら・・・、おっくんは何一つ安心なんかできない。俺は色々と足りないし、心配ばっかかけちゃうし。
じいちゃんとばあちゃんは、おっくんのお父さんとお母さんじゃん。だから、ここの方が、おっ君のためにいいんだ。』
『ひろ・・。』
『・・ほんとは・・もっと早くかえさなきゃって思ってたんだけど・・』
比呂は大粒の涙を拭って、涙声を振り絞るようにいうのだった。
『決心するのに・・・一年もかかっちゃって・・。』
位牌は結局、おじいさんの家の仏壇にそなえられることになった。
位牌のかわりにといって、おじいさんが庭のアジサイを、鉢に植えてわけてくれた。
おばあさんが、『よかったら食べて。』といって、おはぎを出してくれた。
甘いものが嫌いな比呂なのだが、『おいしい』といって、食べていた。
帰り際、おじいさんが、比呂をぎゅっと抱きしめる。
『いつでもおいで。』といわれて、比呂は『うん。』と短くいった。
家に着くと、位牌のなくなった仏壇の前に比呂が座る。
そして位牌のあった場所にプラモデルを置くと私のほうを見て、不安そうに聞くのだ。
『おじちゃん・・この仏壇・・捨てちゃうの?』私は首を降っていう。
『捨てないよ。そのうち俺たちが入るんだし。』『・・えんぎでもないこという・・・。』
私は笑って比呂の隣に座った。
『何年も先の話さ。でも、もしその日が来たら、比呂が毎日俺のために拝んでくれよ?』
比呂が作ったプラモデルをてにとって、俺はそういって比呂を見た。
比呂は、ふふっとわらって、『何十年も先の話だけどね。』といった。