2008/6/30(MON)18:05:20

昼休み。外の枯葉を掃いたあと、校舎に戻ろうとしたら
紺野比呂が窓の外をぼんやりと眺めているのに気がついた。
ああ・・。また何かを抱え込んでいるのかもしれない。
そう思った俺は、放課後、彼を呼び出した。

進路指導室を担当の先生に借りて紺野と一緒に入る。
すると紺野は部屋のドアを締めたとたんに、ガクリとへたりこんでしまい、ぼろぼろと涙を流す。

『・・先生・・俺・・もー・・やだ・・。』そういうと、涙をぬぐって紺野は進路室の天井をみている。
『なにかあったのか?』俺が言うと、紺野はコクリと素直に頷いた。

『俺・・また変な風に考えるようになってきてる・・。怖い。すごい怖い。
死にたくてたまんない・・。自分が生きてるのが・・すごく気持ち悪い・・。』
『・・うん・・。』

俺は紺野の背中を抱いて、『座ろう。な。』といいながら彼を立たせる。
俺がひいたイスに座った紺野は、テーブルに突っ伏して嗚咽を漏らしながら泣いた。
『なにがあった?どうしてそんなに・・・。』
そう聞くと、紺野はしばらく黙って考えた後、静かに話を始めた。

『付き合ってる人と・・色々あった・・。浮気されて・・不安になって・・・
そういうのを・・自分の中で考えてるうちに・・俺が生まれたこととか・・
子供のころのこととかを・・バカみたいに思い出して混乱した・・』
『・・・・。』
『浮気がどんなもんなのかって・・されてみてわかったことがあって・・
こんなに酷いもんなのかって・・・思ったらますます自分のことが・・汚れ物みたく思えてきて・・
手も足も・・体全部が汚いように思えて・・、動いてる心臓も何もかも全部捨てたいって・・』
『・・・こんの・・・。』

・・・・俺がどんなに紺野を見ても、視線が絡まることがない。
分厚い殻の中・・それでも必死に・・俺に助けを求めていることはわかる。
『・・・そんなにつらいのに・・頑張って学校に来たのか・・。』
『・・・・・・・。』
『家の人には・・言ってないのか?』
『・・・・。』
完全に黙ってしまった紺野。
『・・心配かけたくなくて・・家の人にいえないんだな?』
『・・・・・・。』
『一人でいると死ぬんじゃないかって・・怖くて学校にきたんだな・・?』
『・・・・・・。』

うつむいたままの紺野は、俺の問いかけに弱弱しく頷いた。
・・・・・悲しいことだ。

『紺野・・。お前は汚くもなんともないよ。周りにいつも気遣って・・
お前がいなくなったら、世の中が回らなくなるくらい・・みんなにとって
かけがえのない存在じゃないか。』
『・・・・・・・・・。』
『家の人たちも、俺たちも・・お前のことが必要なんだよ?』
『でもっ・・・。』
『・・・・・・。』
『・・・でも・・俺のせいで・・全部がおかしくなった・・・。』
『・・・・・・・。』

唇を噛み締めて、紺野が言葉を押さえ込んでいる。
止まらない涙。唇には血がにじんでいる。

『誰に言われた?』
『・・・・・。』
『誰に・・・何を言われた?』

目からぽたぽたと大粒の涙がこぼれて、紺野が俺を見た。
目が合った。

『・・・父の日に・・・じいちゃんちに・・親戚の人たちがいて・・・』
『・・・・・・。』
『・・お前が生まれてきさえしなかったらって・・・・で・・』
そこまで言うと、紺野は口をへの字に曲げ、肩を震わしてうつむいてしまった。
咳き込みながら、涙を拭く紺野。俺は、ぎゅっと目を閉じた。
『・・・・紺野・・。嫌な事を聞いて悪かった。ごめんな。』
俺は席を立ち、紺野の背中を擦る。すると大きなため息が聞こえて、
紺野が左手で自分の顔を覆った。

『死ねって・・言われた・・・。』

自分の体から、力がガクリと抜けた感触。次の瞬間湧き上がる怒りにも似た感情。
思わずこぶしを握り締める。
何故・・また・・。どうして・・こんなに必死に生きている子に・・そういう言葉を繰り返すのか。
それが大人のすることなのか。

『・・・音羽を・・返せって・・、散々言われた。ばあちゃんがそれをみてて泣いた。
でも・・そんなの誰にもいえないじゃん・・・。いえないよ・・おじちゃんやおばちゃんに・・。』
『・・うん。』
『返して欲しいのは俺のほうなのに・・父さんいなくなって・・
どうしていいのかわかんないのは俺なのに・・そんなに俺って駄目だったのかって・・・
ならなんで・・生まれる前に、どうにかしてくれなかったんだよって・・。』
『・・・・・。』

父の日から・・ずっとこの子は、踏ん張っていたんだろう。
誰にも言わず・・死に物狂いで・・毎日を生きてきた。
付き合っている人に裏切られて・・心が折れてしまったのかもしれない。
とっくにボロボロになっている心。紺野はまだ高校生だというのに。

『紺野・・』
『・・・・・。』
『・・・なんでそれをおじちゃんたちに言わない?』
『・・・・・・・・。』
『どうしてそれを・・紺野さんに相談しないんだ?』
『・・・・・・』
『お前の家族は紺野さんたちだろ?』
『・・・・・・・。』

俺は、紺野の肩を抱く。呼吸がおかしくなっているのがわかる。
一生懸命前向きに考えて、必死に塞いできた心の傷を
親族にえぐられた紺野の絶望は、果てしなく深い闇の色をしているのだろう。
そこにきて恋人に裏切られた。中学生の頃、突然恋人に離れていかれた記憶が
たたみかけるように闇の色をさらに濃くする。
今の紺野の目に光は届かない。このままでは・・まずい。

『紺野、今日は部活休みな。』
『・・・けど・・教習所。』
『そんなんで運転したら危ない。休め。』
『・・・でも・・そのあとに約束・・・』
『・・・だれと?』
『幸村と・・・。』
『別の日にしてもらいな。これからおじちゃんたちに話しに行こう。』
『・・え・・やだよ・・俺・・言えない・・絶対やだ。』

子供のように机に突っ伏してしまった紺野。その背中を見て、俺は泣きたくなる。
でも俺は、こいつに酷い言葉を浴びせ続けた人間と同じ大人だから
ここで逃げちゃだめなんだ。こいつを絶対ひとりにしない。

『紺野。・・言わないだけが優しさじゃないよ。黙ってちゃ駄目だ。
辛いことがあった時、頼ってすがっていいんだよ。子供は親に。
お前は一人で抱え込みすぎだ。限度を超えてる。
ちゃんとおじちゃんたちの耳に入れておいたほうがいい。だって家族じゃん。』
『・・・・・・・。』

返事はない。

『・・お前はうまく・・ごまかせてると思ってるかもしれないけど・・
多分・・おじちゃんたちは、紺野の様子がおかしいことに気づいてると思うよ。
俺ですらわかったからね。すぐに。なんかあったなって。』
『・・・・・・。』
『・・・おじちゃんたちも・・・やっぱりどこかで遠慮があるのかもしれない。
でも、そんなことを言ってられるようなのん気な状態の話じゃないんだよ。
お前は限界。今までよく頑張ってきたけど・・限界だから、そこまで苦しいんだ。
心が完全に折れちゃったら・・もう立ち上がることも出来なくなるよ。』
『・・・・・けどっ・・。』

泣きじゃくる紺野。かすれた涙声。むせて咳き込むほど涙を流す。
俺はそんな彼から目をそらさない。

『けどっ・・悪いの俺じゃん。俺のせいじゃんっ・・俺のせいで・・おっくんの人生が
狂ったのは事実じゃん・・・死んだのだって俺のせいじゃん・・。』
『・・・・・。』
『・・俺がバカみたいに生まれてきたせいで・・紺野さんだってそうだよ・・
おばちゃんとの結婚が遠回りになったし・・じいちゃんやばあちゃんから
おっ君奪ったのだって俺じゃんっ・・・それは事実じゃん。』
『違うよ。』
『・・・・。』

紺野の肩を、ぽんっとたたく。
『違うよ。そんなの。・・そんなの勝手にお前が思ってるだけだよ。』
・・・紺野が、涙でぐじゃぐじゃになった顔で俺を見る。
『人の生き死には・・誰にもどうすることも出来ないんだよ。
防げる死は沢山あるかもしれない。でも、音羽さんの死は誰にもどうする事もできなかった。
お前のせいでも・・音羽さんのせいでも・・誰のせいでもない。
どうしようもないものだったんだ。それに、音羽さんの人生は、決して悪いものじゃなかったと思うよ。』
『そんなの違うよっ・・・。』
『・・・なにが?』

紺野が涙をぬぐって、大きなため息をついた。

『・・俺が・・俺が生まれてからずっと・・あの人は苦労をしてばかりだった・・
俺が邪魔したせいで・・大好きな彼女と・・結婚も出来なかったんじゃん・・・』
『・・・紺野・・。お前はお前自身だから・・どうしても自分を責めちゃうのかもしれないけど・・・
そういうお前をどこかで見てたとしたら・・音羽さんはもっと自分のことを責めてるんだろうな・・。』
『なんでっ・・おっくんは悪くないじゃんっ・・・悪いのはっ・・』
『悪いのは俺?違うよ。お前は悪くない。』
『悪いよっ・・最悪だよっ・・何で俺なんかが』
『お前はそれを、音羽さん自身にいわれたことがあるのか?』
『・・・・・。』

呆然とする紺野。体から力がガクンと抜けたのがわかった。
俺は、腰をかがめて目線を合わせる。紺野は言葉を失っていた。

『・・紺野・・。音羽さんがすごい親ばかだったのは・・紺野さんから俺も聞いてる。
お前の思い出の中の音羽さんは、いつも幸せそうだったろう?
確かにお前は他所よりも複雑な家庭で育ってきた。でも、そのしがらみで見失っちゃいけない。
お前の思い出の中の音羽さんの笑顔は全部・・お前があげたものなんだよ?』
『・・・・・・・・。』
『お前が生まれたからその幸せを、音羽さんは知ることが出来た。
自分の子供の成長のために頑張れる喜びを噛み締めて生き抜いた。』
『・・・・・・。』
『お前が汚いわけがないだろ。お前のその体の中には、音羽さんの血が流れてるんだよ?』
『・・・・・・・。』
『帰って・・おじちゃんたちに全部話そう。・・もういい加減、こういうことで苦しむのはやめよう』
『・・・・。』
『俺が一緒にいる。お前が言えないなら俺が話す。明かしていくことで、色々変えていこう。』
『・・・・・・。』
『今までよく頑張ったな。』
『・・・・・先生・・』

バスケの顧問には俺が事情を説明して、教習所と幸村には紺野に連絡をさせた。
俺は、紺野の家に電話をしたあと、車で一緒に家に向かい、そして話をした。
やっぱり紺野は一言も話すことが出来なかったから、俺が全て説明した。
ご家族の方たちは悔しそうな顔で泣いていた。
『どうもありがとうございます。・・この子ばかりなんでこんなにつらい仕打ちをされるのか・・
私たちもさすがにガマンの限界です。ちゃんと話し合ってきたいと思います。』
そういいながら、紺野を抱きしめているご家族をみて、俺は安心をする。
帰りの車の中、信号待ちで、体中の力が抜けて、涙がボロボロと出た。
安堵の涙というよりは、やはり悔し涙といったところか。

だいの大人が理不尽な言葉で一人の子供を傷つけ続けてきたことに
湧き上がる怒りは矛先を見つけることが出来ない。

仕事の続きがあったから、そのまま学校に戻った。
すると、暗くなった職員用の駐車場に、佐伯がぽつんと座り込んでいた。
車を止めてそばにいくと、『・・・紺野は・・。』と小さな声で聞いてくる。
『大丈夫だよ。ちゃんと家に送ってきた。』といって俺は佐伯の肩をたたいた。
佐伯がほっとしたような顔で、ふーっとため息をついた。

紺野のことを大切に思っている人間はたくさんいる。
だからこそあいつは、独りになろうとしては駄目なんだ。
つらいことを、何とか自分で解決しようとする気持ちは立派だけど・・
でも、そうすることで、もっともっと周りの人間に心配をかけてしまう。

頼って甘えることで、心の傷を分け合うことが出来る。
紺野の悩みがなんなのか・・知ることで周囲は安心できる。
・・だけど紺野は・・・きっとそういうことを上手にできないんだろうなあ・・・。


自分の無力さにため息が出る。
俺は、あの子にいったい何をしてやれるんだろうか。
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