
■ No.19 どこかが欠如している彼 TIME : 2006/07/23 (Sun) 08:36
先日、心療内科外来に、風邪薬の大量服用で入院した高校生が連れられてきた。
彼は、カウンセリングを拒否していたようなのだけど、
医師が、『治療の一環だから』といって、彼を説得したらしい。
カウンセリングを望まなかった彼なので、口頭での質問のみでの診察。
先生が彼の名前を呼ぶと、『失礼します・・』と彼が入ってきた。
診察室に入ってきた彼は、ごく普通の高校生。
『じゃあ、そこの席にすわって。』と先生に促されると、
だまってこくりと頷いて、彼はイスに腰をかけた。
先生の質問は世間話に交えた、学校でのことや、家庭でのことで、
それを聞く限り、彼には特に問題点は見受けられなかった。
友達の話も、にこやかに話してくれる彼。私も他の看護師も、
話を聞いて、面白さのあまり笑ってしまったくらいだ。
でも、そのあと、今回の大量服用についての件の話のあたりから
診察室内の笑いが消えた。
『紺野くんは、薬の飲みすぎは二回目だね。』『はい。』
『どう?気持ち悪くなったりしなかった?』『・・別に。』
『ご家族や友達が心配しただろう。』『あ・・ああ、はい。』
『命がたすかってよかったね。』『・・ああ・・まあ・・うん。はい。』
『あれ?あんまり嬉しくないの?』『いや・・別に。』
先生は、カルテから目を離し、彼に向かい合って、話を続ける。
『死ぬの怖いって思わなかった?』『・・・・。』
『じゃあ・・たとえば・・友達が死んじゃったら君はどう思う?』
『・・それは・・嫌です・・。』
先生の質問に彼は淡々と答えをかえす。
『今回君は、一度、心停止状態になったんだよね。』『はい。』
『それを聞いてどう思った?』『・・別に・・何も・・。』
『友達はそれを聞いてどう思ったかな。』『友達には言ってません。』
こんなヘビーな内容の話をしているのに、彼は全然取り乱すことなく話をする。
先生が、露骨なことを言う理由がわかった。
柔らかな言葉では、彼の心に入っていけない。
『悩みとかは特にないんだよね。』『はい。』
『で、今回の件は、自殺ではなかったと。』『はい。』
『今回の事で、何か感じたことはあった?』
先生の質問に対して彼は、ちょっとだけ考えるような顔をすると、こう言った。
『みんなに迷惑をかけたから、なんか申し訳なく・・・』
その後、ちょっとだけ話をして、彼の診察は終わった。
軽くお辞儀をして出て行く彼。ドアが閉まるのと同時に、先生が、はあ・・っとため息をついた。
『まいったな・・・。』先生がめがねを取り、目頭を押さえながらいう。
立ち会っていた看護師みんな、神妙な顔つきで頷いた。
彼は、本当に普通の子なのだけど、何かが足りない。
友達の話をにこやかに喋る彼。養父母の方達に対しての感謝の気持ちを打ち明ける彼。
でも、自分自身のことに関しては、『ああ。』とか『はい。』とか『別に・・。』とかだけで。
今回の件のことについて、彼は最後まで『死なずにすんでよかった』とは言わなかった。
その後、彼の養父母の方の話を聞き、一同で涙を流した。
仕事上、いろいろな人の人生を見てきたのだが
あんなに若く、屈託ない彼が、背負っているものの重さを知り絶句する。
父親の死が、自分のせいだと思っていること。
自分が生まれてきたことに嫌悪感を持っていること。
自分の未来にまったく希望を持っていないこと。
自分というものに興味がほとんどないということ。
だからといって、いつもそれを考えてばかりなようではないということ。
『本当に深刻なつらい重荷なんだろうね。だから口に出すのも嫌で、
考えることも本能的に拒絶しているんじゃないかな。
しかも彼の場合は、幼少時代から特異な環境に育っていて、
世間一般の幸せと自分の幸せは、別物だということが当たり前だと思ってしまっている。
でも、彼の周囲の人たちは、いい人ばかりなようだし・・それが唯一の救いだね。』
休憩中、先生がコーヒーを飲みながら、そんな風に彼のことを話していた。
そして、窓の外を見ながら、ぼんやりとこう続ける。
『君が死んだらみんなが泣くよといっても・・・
何言ってんだこの人?みたいな顔をしてたもんな・・・。』
私も窓の外を見た。
『自分が周囲の人にとって、とても大事な存在なんだという感覚の、
意味がまったくわからないんだろうね。』
先生は、ため息をつく。
『悲しいことだなあ・・・。』
黙って私はうなずいた。