『岸せんせい』

今日、塾のあとに病院行ったら、麦と浅井がドアの前に、へばりつくようにして息を潜めていた。

『何してんの?』 一応気を使って、小声で声をかけたら、
口の動きだけで麦が 『紺野んとこに、岸先生が来て補習やってる。』という。
『なら入りゃいいじゃん』といって、俺がドアに手をかけようとすると、 麦に死に物狂いでとめられる。
『あと一問で終わりっぽいから、それが終わったら、一気にのりこもう。』だって。

ああ、どっきりか。そういうことなら、俺も仲間に。
俺等は看護師さんに真っ白い目でチラ見されつつ、岸先生と紺野の会話を盗み聞きしていた。
そういや岸先生って、数学の先生じゃん。こんにょは国語の補習だよな・・。何で岸くんが・・・。

『ん。いいね。じゃあこれで今日の分は終わりー。』
『やったー・・・。もー・・俺、このまま頑張ったら、東大入れる。』
『このまま頑張ったらね。』
『んふふ。』
そんな会話が聞こえてきたから、いっせーのーでで乗り込もうとした。
そしたらいきなり岸先生が 『紺野、ちょっと話がある』といった。

俺等は、あわてて姿勢を元の体勢に戻して、盗み聞きに徹することにした。

『?』
『聞いたよ。いろいろな話。こないだ雨宮先生と飲みに行って。』
『・・・・。』
『体、大丈夫なの?お前、笑ってるけど無理してるんじゃねえの?』
岸先生は比較的静かな人だけど、言葉遣いが、ややフリーダム。
だからこそ、親近感がわいて、みんな大好きになっちゃうんだけど。
『あはは。してないしてない。全然大丈夫。』
『・・・聞いたよ。心停止状態になったって。』

・・・・は?

俺は驚いて目を丸くする。麦も浅井も同じような表情で息を呑んだ。
『ああ・・。でも・・一瞬だけだし。俺は意識なかったから、全然覚えがないんだけど。』
『・・俺はもう、自分が心臓止まるかと思った。未来の親友が死ぬかもしれなかったなんて。』
『・・・・は?』

少し間が空いたあと、2人はまた話を始める。
『紺野。』
『・・・はい。』
『ピカ工の生徒の中で、進学する子ってどんだけいると思う?』
『・・・・2割ぐらい?』
『・・ううん。実は1割にも満たないんだ。』
『・・ほんとに?』
『うん。お前も就職希望だろうけど、うちの学校の子らは、高校卒業したら、
そのまますぐに社会に出る子がほとんどなんだよ。』
『・・・へえ・・。』
『それってどういうことかわかる?』
『・・・・・?』
『お前らは高校卒業したら、もう大人側の人間になっちゃうんだ。』

俺も麦も浅井も、思わずその言葉にうつむいた。

『・・大人側・・。』
『そう。・・税金払ったり、辛くても頑張って働きに行ったり。』
『・・・・・・』
『だから俺達はね、教師の立場と言うよりは、家族に近い感覚で、お前らの《子供としての最後の三年間》を、
見守って、手助けしていきたいと思ってるんだよ。』
『・・・。』
『なんでも言えよ?俺は頼りなく見えるかもしれないけど、ちょっと長く生きてきた分、経験だけはお前よりあるから。』
『・・・・・。』
『紺野はね、俺ずっと思ってたんだけど、いい子すぎるんじゃないかなー。いいやつ過ぎる。
聞き分けもいいし、何もかもに協力的だし、先生と生徒の間で、本当にうまくやってくれてね。』
『・・いや・・、そんな・・おれ・・。』
『・・俺ら側の話になっちゃうけど、・・どの先生も、理想の教師像があってさ・・ 生徒と仲良くできて、
ちゃんと会話のできる関係がまず欲しいの。 じゃないと俺らが、いくら自分の経験から、
お前らに何かを伝えようとしても 、聞くほうが耳をふさいだら、何も教えてあげられないだろ?』
『・・・・。』

『お前がね、そういう面で、いい環境をつくってくれた。褒めてるんじゃないよ、これは感謝の気持ち。』
『・・いや・・。そんな。』
『俺はそんなお前が大好きだからね、お前が卒業して先生生徒の枠組みが取れたら、親友になれるような気がしてる。』
『・・・・先生・・。』
『・・色々話も聞いてもらいたいよ。月並みだけど、二十歳になったお前らと酒ものんでみたい。
お前が病院に運ばれたって聞いたときは俺、パンツ一枚で家を飛び出しちゃってさ
一緒に寝てた彼女に呼び止められて・・ほんと・・そんなかんじでさ。』
『・・・・。』

『お前が何かを悩んでたとしてさ、それを話すことが逆に苦痛なんだったら、
俺は何も聞こうとはおもわない。でも、背中ぐらいはさすらせてくれよ。』
『・・・・。』

なんか、ぐすっぐすっという音が聞こえる。比呂が泣いているのかもしれない。

『俺は、お前に死んで欲しくないよ。お前は俺の人生に欠かせない大事な人間だよ?』
『・・・・うん・・。』
涙まじりの比呂の声。

ああ・・、やっぱ比呂が泣いてる。

『俺が死んだら、お前は泣く?』
岸先生がいう。比呂が、小さな声で『うん・・うん・・』っていう。 そしたら岸先生が言った。
『俺もお前が死んだら泣く。さすがに泣く。生きてほしい。負担があるなら少しでも減らして。』
すると、比呂がほんとに泣き出したようで、そんでゆっくり話し始める。

『岸せんせい・・・。俺は・・・俺はさあ・・。』
そこで、浅井が俺と麦を引っ張って立たせて、ドアの前から移動した。
浅井は泣いてて、麦も泣いてて、俺の服も濡れてるから、何かと思ったら俺の涙だった。

『この先は聞いちゃまずいだろ。』浅井がいう。

うん・・・。ほんとそうだ。俺は浅井に言われて気がつく。
立ち入っていい場所と、駄目な場所が、友達でもあるということ。

岸先生は、そのあともしばらく病室から出てこなかった。
比呂が先生に何を話したのか、俺も他のやつらも何も知らない。
俺等は一階のロビーのとこで、ジュースを飲みながら話をした。
比呂が心停止状態になったことを、とても一人で抱えられなかったから。

『聞かなかったことにしよう。俺等三人の心にしまってさ。
比呂が言わないってことはさ、俺らに知られたくなかったんだ。』
麦の言葉に俺は頷く。浅井もこくりと頷いた。

そのうちに、岸先生が、ロビーの向こうの廊下を歩いて正面玄関から出て行くのが見えた。
俺等は五階に戻ろうとしたが、麦がなんか思い出したようで
『お前ら先に行って。』といって、外に飛び出していく。

『岸先生をおっかけてったのかな・・。』『でも、曲がった方向、逆だったよね。』
そんなこといいながらエレベーター降りて、比呂の病室に入ったら 比呂はぼんやりと窓の外を見ていた。

『よお!紺野ちゃん!』
『あー・・。またきてくれたんだ。』
『くるに決まってんじゃん!ね!ゆっき』
『そうだよ、俺等はナース目当てだから。』
『あははは。』
『あはは。うける。幸村が親父ギャグ言った。』

・・親父ギャグではないと思うけど、うけたから・・・まあいいか・・。

入院中で世の中と隔離されてるくせに、相変わらずネタに尽きない紺野が、面白おかしい話をしだす。
きっとさっきまでヘビーな話をしてたんだろうに、・・・・こいつは本当に強い。
そしたら扉が、ばあーんとあいて、麦が勢いよく入ってきた。
『おらっ。くえっ。』 麦が比呂に差し出したのは、サニマのカキ氷だった。

『気がきくじゃん!』 といって比呂が、美味しそうに食い始めた。
のどが渇いていたのかな・・、すっげえうまそうにくっていて、 そのうち動きがのろくなって、
そしたら結局あいつ・・泣いちゃって・・・ でも理由はいわないから、俺等はみんなで背中をさすったよ。

比呂がみんなのくちに、カキ氷を入れてくるから
それをガリガリと食いながら、俺らも泣いてほんとなんか、・・・なんかってかんじだった。


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