『無題』

今日は、何の約束もできず、結局比呂に会えなかった。

俺は塾の夏期講習の予習をしたり、 岩手からきた親戚の子供ら連れて買い物いったり。
そんな風にして一日過ごし、そして一日中、比呂を思っていた。

俺は、比呂の家庭環境のことを、実はあまり知っていない。
噂は耳にしたことあるけど、学校のやつはそれを言わないから。
母親の育児放棄のことと、父親が早くに死んだって事は知ってる。
でも詳しいことは、全然知らないし、他の事はほとんどわからない。
比呂もあんま言わないし、それにあいつの普段の様子からは、そんな過去なんか想像できないから。

比呂が死にかけて、病院に集まったのは、おじちゃんとおばちゃんと、
あとは俺等友人数人と、あとからハルカさんたちで、
悲しいことに、比呂と実際に血が繋がってる人は、一人も来やしなかった。

買い物帰りに寄った駄菓子屋で、親戚のガキが真剣な顔で
10円やそこらの菓子を選ぶのに、死ぬほど悩んでる姿を見て
いつもは疎ましく思えるこの存在が、果てしなく大事なものに思えた。

俺がまだまだ子供だった時の悩みは、おやつのこととか、テレビのチャンネル争いだとか
背がなかなか伸びなかったこととか、兄ちゃんに将棋で負けてしまうこととかで
時を同じくして比呂が、抱えていた悩みはきっと 全然別物で笑える思い出なんかじゃなくて、
そんな気楽な悩みじゃなくて、どんだけ・・・

どんだけつらかったのかなあ・・・。

明日は部活で、比呂も復帰する。
会えることは単純に嬉しいが、あいつに恋をしている俺には 単純にそれを喜ぶことができない。

だってあいつは、つらくてもきっと、笑って体育館に入ってくるんだ。

知れば知るほど物事は、複雑になっていくもので
俺は比呂を好きになってから、毎日自己嫌悪の海で溺れ続けている。

比呂のいない場所で、ひたすら比呂のことを考えたら
すっげえ悲しくなってきちゃったよ。

そんな時に、部活の連絡網がまわってきた。 俺は比呂に回すことになっている。
電話をしたら、もう寝てたみたいで、『うん。』とか『ああ。』しか返事しない。
あまりに眠たそうだったから、比呂の次のやつにまわすのも、俺がやることにしてやった。

比呂はすごく申し訳なさそうに『ごめん・・ありがとう』という。

そんな普通の単語のさ、一言一言を全て残さず、俺は心に大事にしまいこんで、
何度も引っ張り出してきて、お前を好きだと思ってるんだぞ?

俺は連絡網の比呂の次のやつのところに、電話をして、ベッドにもぐりこんだ。
階下では大人たちが、久々の再会をつまみにしながら酒を飲んでいる。
明日、俺が部活に行って、帰る頃にはもういないけど
ずっと元気でいてよねって、本気で俺はそう思ったよ。





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