2006/8/3 (Thurs.) 23:28:18

ある朝、大好きな比呂が突然やってきた。私の会社は隔週だけど、水曜日が休みで
それを比呂は知っているから、ハムスターでも見にきたんだろうと思った。

『おはよう。』
『・・はよ。』
『・・どうしたの?あれ?どこかいくの?』
『うん・・・。』
『ふーん。そうなんだー。・・ね、あがって。ハムスター起きてるよ?』

私は普通にスリッパを出し、お茶の用意をしようとした。でも比呂が来ない。あれ?
おかしいなって思って玄関に行ったら、比呂はまだ外に立っている。

『どうしたのー?ほら、あがってあがって。』
私が言うと、比呂は無言で首を横に振った。

・・・え?

数日前に、私は比呂に別れ話を切り出され、必死になって比呂にしがみついて、
これから幸せな日々がくると思っていたのに、
玄関先に立って比呂が、私にこんなことを言ったのだ。

『・・もう俺、ここに来ません。』

私は手に持っていた紅茶の葉を、落として床にぶちまいてしまった。
前に比呂に買ってもらった紅茶・・。
比呂と別れなくてすんだあの夜に、記念にと思ってあけたばかりだったのに。

『どうして?』
そんな言葉しか出ない。比呂は黙っている。

『私に飽きた?』『・・・・。』
『私、何かいけないことした?』『・・・・。』
『私が嫌い?』『・・・・。』

比呂は何も言わないから、私は茶葉をよけて歩いて、それで比呂の体に腕を回した。

比呂はあれなんだよね。やせて見えるけど、ほんとは結構がっしりしてて
力も強くて・・・手が大きくて・・・そうだ・・・左利きなんだよね。

『何でもうこないなんていうの?』私は泣く。
『私は比呂が大好きなのに。』・・ひたすら泣く。

比呂は私を抱きしめない。何もしゃべってくれない。

私は比呂の顔を見た。目には涙がいっぱい溜まっている。
そんなのを見たら私は、ますます比呂を手放せない。手放せるはずがないよ。

『ねえ。私が年上だから、だから嫌なの?』『・・・。』
『私と付き合ったりしたら、遊べなくなるから・・だから切りたかったの?』『・・。』
『・・・じゃあ私、遊びのほうでいい。比呂が来てくれるなら、愛人でも何でもいい。』
『・・・。』
『ごめんね・・。私比呂と結婚したいとか、勝手に思ってた。』
『・・・・。』
『そういうのが態度にでてて、君を困らせてたんなら、次からは気をつけるから。』

そういって顔を上げると、比呂は驚いたような顔をして、その拍子に涙が一滴おちる。
私はそれを見てびっくりして、『・・比呂?』と名前を数回呼んだ。

『なんで・・俺なんかと・・結婚なんか・・』

私は黙って比呂をみつめる。

『・・高校卒業するまで何年もあって、そのあとどうなるかわかんないのに、
俺ら出会ってからまだ数ヶ月じゃん・・。しかも俺は、たまにしか会いにこないし・・
勝手に一人で勘違いして、ヤっちゃったりしたし・・』
『・・・・。』
『そんなだったのに・・結婚なんて・・そんなこと・・』
比呂はうわごとのようにそれを言う。比呂にそれ以上、何かを言われるのが怖くて、私は言葉で比呂を制した。
『比呂、好き。』・・黙る比呂。
『好きだから。』

比呂は、ちょっとだけ間をおいて『俺はもう好きじゃないです。』と、ぼそりといった。
『それでもいい。一緒にいられたらそれでい・・・』
『帰る。』
『嫌。』
『・・・』
比呂が私の手を自分の体から丁寧に引き剥がす。
そういう行為の一つ一つに、この子の優しさが滲みでる。

『じゃ。』
それが比呂の最後の一言。

私はゆっくり閉まっていく玄関の向こうに比呂がいなくなったのを確認してから大声で泣いた。

何時間か、泣いて考えて、どうしても話がしたくて、比呂に何度か電話をした。
でも、比呂は一度も電話に出ず、メールの返事もこなかった。

夜、独りになるのが怖くて、友達のミズカを家に呼ぶ。
ミズカに話を聞いてもらったら、『ひどい男!なにそれ!』といった。

『ううん・・。ひどい男なんかじゃなかったの・・。何度も体を重ねてわかった。』
『何度もやったの?その子と。』
『うん。』
『体目当てだったってこと?』
『ううん・・・違うと思う。』
『なんで?』
『だって・・・だって・・・比呂はね・・私とした後、眠いんだろうに、私の愚痴を朝まで聞いてくれて、
その後ね、会社が休みの私をね、寝かしつけてくれてね、で、自分は学校にそのまま行ったりしてくれたの。』
『・・・。』
『一度や二度じゃないの。』
『・・・・。』
『風邪ひいたときも・・薬とか食べ物を買ってきてくれてね・・・。寝付くまでそばにいてくれたの。』
『・・・かおり・・・。』
私は、幸せな思い出を振り返って、また涙があふれた・・・。

『私が比呂と結婚したいって言ったら、あの子・・泣いてたの・・。』
『・・・・。』
『比呂が泣いたの・・・・。』

ハムスターが回し車を、音を鳴らしてまわしている。
ハムスターの名前・・ひろちゃんって名前にしちゃったんだ。
あんなに大好きで、守ってもらっていたというのに、ほんとに目の前からいなくなっちゃった。
比呂が本当にいなくなっちゃった。

あまりに理想的な子だったから、案外全部夢だったのかな・・・。
それとも私の妄想だったのかな・・・。

ミズカが
『私、しばらくここに泊まる。女同士、色々話しよう。』
といってくれた。
『ありがとう。』と頭を下げたら、
『やめてよそんなー。』といって笑った。

その後ミズカがご飯つくってくれて、それを食べたら、また泣けた。
『かおり・・・。』ミズカが箸を持ったまま私に声をかけてくる。

私は言った。

『私・・比呂がね、ご飯を食べてるのを見るのが好きだったの。
ちゃんと、おいしいって言ってくれて、おいしそうに食べてくれたのを見てるだけで幸せだったの』
『・・・。』
『本当に、幸せだったの。』


NEXT