2006/8/14 (Mon.) 00:33:11

『22時ごろ、迎え火焚くよ。』比呂に言うと、あの子は黙って頷いて二階に上がった。
そして、風呂に入るために一階に降りてくると、仏壇の前にタバコを置いた。
音羽が好きだった銘柄のタバコを、この子はいまだに覚えている。
風呂からでてきた比呂は、黒く染めた髪を元に戻し、生まれつきの髪の色をしていた。

22時前に、比呂は玄関に向かっていった。

私と妻がたいまつを用意し、三人で炎を囲んだ。
黙って炎を見つめる比呂。妻は音羽に会ったことがないのに毎年泣いてしまう。
私も生前の音羽を思い出しながら、涙を流しそうになる。

比呂は迎え火の時には泣かない。
とても幸せそうな顔で、黙って炎を見つめるのだ。

炎が燃え尽きると、比呂はバケツの水をかけ、妻が一番先に上がって、お茶とお菓子を用意する。
迎え火の後片付けを黙々と済まし、私と比呂が家に入る。
そして私が仏壇の前にすわり、ちょっと遅れて比呂がビールを一本もってきて、仏壇のところにそっと置く。
バイト帰りに買ってきたんだろう。

家族そろって、手を合わせる。線香をあげて、私と妻が先に部屋を出る。
比呂はそのあと仏壇前においてある座布団をどかして、
たたみに正座し手を合わせると、
『おとうさん。おかえりなさい。』と静かに言って、しばらくそこに、ぼんやり座っているのだ。

一年間。音羽の帰宅を迎えるために生きているような比呂の背中。
毎年毎年大きくなるが、毎年これを繰り返している。
私は音羽を亡くすまで、盆と言う行事をさほど意識したことは無かったが
音羽が亡くなってから、この行事がとても大事なものに思える。

本当に大事なものを失った人々にとって、この数日は、とても大事な期間なのだろう。
たとえそれが、たんなる年中行事の一つで、科学的根拠のないことであろうと
失った人が戻ってきてくれるという・・そういう期間があるということが、
少なくとも比呂にとっては、生きる支えになっているのだ。

椿平にいた頃は、音羽の実家が近くにあり、盆は比呂だけそこに行って、迎え火を焚いて家に泊まってきていた。
でも、光が丘に越してから、家が遠くなってしまい、そしたら比呂は自殺未遂を起こした。
それほど比呂は、この期間に依存をしてしまっているのだ。

比呂の祖父が、比呂の自殺未遂をうけて、音羽の位牌を私達に託してくれた。
すると比呂が泣きながらずっと、それを抱きしめて離さなかったのだ。
大好きな父親が突然死んで、形全てが無くなった。触れたくても触れることができない。
世界のどこにも父親の姿は無い。
比呂はそれを受け入れることが出来ず、可能性のあるもの全てに依存した。
位牌に魂がこもっているんだと信じて、それを大切に手元に置いたり・・

死後の世界に音羽がいるんじゃないかと思って、薬を飲んで自分も死のうとした。

私も含めた大人たちの犯した罪はとても大きい。だから罪は私たちが背負うべきなのに
暗い過去は全て比呂の肩にのしかかる。
必死に明かりを照らそうとしても、比呂はそれを拒み心を閉ざしていく。
一人背負って生きる比呂を守るのが、一生かけてする私の償いだ。

音羽のなき今、比呂は位牌や写真や思い出にすがるように生きている。
中学の頃に彼が初めて音羽以外に心を開いた恋人とも、結局大人たちの話し合いで、離れ離れにしてしまった。
勝手な言い分かもしれないが、早く比呂が心の底から頼ることのできる人にめぐり合えたらいいと思う。

いましがた比呂の部屋を覗いたら、比呂はヘッドフォンで音楽を聴きながら、プラモデルを作っていた。
送り火の頃にそれがきっと完成して、音羽を見送ったあとに、比呂はそれを見て一人静かに泣くんだろう。


悲しいことだ。
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